2025年12月28日日曜日

世俗から離れてひっそり暮らすのを隠棲と言いますが、今ならスローライフなんだろうか ー 京嵯峨野散策(トラベル)

常寂光寺、多宝塔
                              
その昔、嵯峨野は、天皇の御猟場で、下々の人には狩猟が禁じられていました。
平安京の遷都と言えば、千年以上も前のお話ですが、以来、草原だったのです。

なので風光明媚な自然も残り、貴族・文人等が山荘、寺院を建立してきました。
雅やかな宮廷人たちが集い、遊猟や行楽に楽しんでいたのは間違いありません。

なので、閑静な寺院がコンパクトに集まっていて、散策するにはうってつけだ。
先ず、嵯峨嵐山駅から歩き始めれば、落柿舎を向かいに眺めて常寂光寺へ到着。

秋は、全山紅葉に包まれるという名跡ですが、「塵劫記」の顕彰碑で驚いたな。
この塵劫記は、江戸時代に発刊された算術書で、大ベストセラーになったのだ。

著者は吉田光由で、一族の豪商角倉家は、このお寺の土地を寄進していました。
その縁から、発刊三百五十年を記念して、石碑が建てられたということでした。

まあ、紅葉がベストシーズンに変わりなく、寄り道程度の蘊蓄もあるという事。
そんなお寺を後にして、俳人、向井去来の”落柿舎”を立ち寄るのも風情がある。

落柿舎
「塵劫記」顕彰碑
                             
茅葺の草庵といった閑居で、家主の去来も一句ひねったのだと想像してしまう。
実は、この向井去来については、個人的な思い出もあって、それが高校生の頃。

高校の古文の恩師が、学生時代に創刊た同人誌の思い出を授業中に話していた。
向井去来にちなんだ名前の同人誌だったそうですが、二号でつぶれてしまった。

そんな逸話を授業中に話していましたが、今回の旅行でふと思い出したのです。
その後、”平家物語”に登場する白拍子の祇王・祇女姉妹の墓所がある祇王寺へ。

ここも、落ち着いた古雅なお寺ですが、観光客の多さだけはやむを得ませんな。
というわけで、この後、あだしの念仏寺に向かって、ブラブラ旅が続くのです。

他には、幕末維新で活躍した土佐藩の志士、坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎、吉村寅太郎の四人が揃った、土佐四天王のブロンズ像も道すがら眺められたので、疲れはしますが歩き旅も乙なものだと思ったのでした。



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