平成4年12月27日滑走 |
桧枝岐と書いて”ひのえまた”と読むのですが、かなり難読の地名と思います。
平家の落人伝説が残っている村落ですが、星姓、平野姓を称した方がそうらしい。
もっとも、県境を超えて南東に入った栃木県の湯西川温泉も、平家落人の里です。
さらに、尾瀬の湿原を越えて群馬県の片品村に入っても、落人が住み着きました。
つまり、今こそ県は違いますが、昔は険しい峠を越えれば往来できたと思うのです。
確かに、どちらも人里離れた山深い場所には違いなく、隠れ住むには格好です。
なので、源平合戦で平家方に与した武家や公卿、その家族が難を逃れたのでしょう。
こうして、桧枝岐村は、平安時代末期の十二世紀から、人々が暮らしてきました。
地元の方言も京言葉を連想させるものがあり、会津のなまりとは全く違うのですよ。
これは、同じ県内でも、昔から他の町村と親交を避けてきたせいなのかもしれない。
歴史的に長い村ですが、他方、地名の由来は良質の桧の木材が採れたからだとか。
山ばかりの土地柄ゆえ、林業が生業なのは当然としても、実にシンプルでした。
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人口は六百人をわずかに超えた程度で、人口密度が日本一低い自治体らしい。
例えると、一キロ四方の土地に住んでいる人が、わずか1.6人しかおりません。
一方、人口が日本一少ない村は、伊豆七島の離島、青ヶ島村が百七十人でした。
まあ、江戸時代からこの村の人口は、二三百人がやっとの小さな小島なのです。
比べるに分けには行かなくても、桧枝岐村も過疎の中の過疎には違いありません。
加えて、村役場の標高が940メーターと異様に高いのですが、あまり感じません。
東北道を降りてから、こつこつ、山間の国道を上り詰めて行くせいだと思うのです。
だから、標高があっても数百メーター程度だと思っていましたので、驚きでした。
でも、自治体の役場としては、標高が日本一でもないので、日本は広いものです。
実は、温泉で有名な草津町の町役場は、何と海抜1171メーターもありました。
なるほど、この桧枝岐村は、スキー場以外に面白いことがあり過ぎなのでした。
もちろん、この村が尾瀬国立公園の観光基点になっているのは、つとに有名です。
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そして、シーズンがくると、東武鉄道が”尾瀬夜行23:55”の列車を運行しています。
一方、冬はこの夜行が会津高原たかつえスキー場行きのスキー列車に変わります。
つまり、東武鉄道さんは、鬼怒川温泉から先の奥会津観光に力を注いできました。
とにかく、夏が来れば、どん詰まりの桧枝岐村まで首都圏の行楽客が押し寄せます。
実際、交通の不便さは想像以上でも、このアクセスのよさで到着までが数時間です。
さすが尾瀬湿原のお膝元ならではですが、村落自体は温泉も湧いたりしています。
冬になれば、尾瀬のピンチヒッターとして、この温泉とスキー場が大活躍しますね。
ゲレンデはリフト二本とこじんまりですが、後はゆっくり温泉に浸かるだけでしょう。
というわけで、スキー場にはニホンカモシカが突然現れて来て、驚かされました。
リフトの監視人も、あそこにカモシカがいると話していたので、自分も気づきました。
こうして、午前の高畑スキー場が混雑して思うように滑られなかったストレスもあり、このスキー場まで足を伸ばしたのですが、ここまでくると混雑もなく、しかも天然記念物まで登場してくれたことに感激して、思う存分にすべりを楽しんでしまったのでした。
おまけ:
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