小説家、開高健の残した言葉。
一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。
衆議院選挙が公示されましたが、解散から投開票までが17日と戦後最短です。
十年以上前、国民は悪夢の民主党を経験してしまいましたが、今回はどうか。
文学界の巨匠が残していた予言のような言葉ですが、悪夢は切り返されるのか。
喉元過ぎれば熱さを忘れるではないですが、もう一度、国民は過ちを犯すのか。
まあ、そんな危惧を覚えつつ、冒頭の絵画は、ハンスエルニが描いた作品です。
スポーツを対象にした作品が多く、結構、好きな方もいらっしゃるでしょうな。
具象画でもなく抽象画でもなく、イメージが湧き上がるような動的な作品です。
美術関係の雑誌は、”パンタレイ感覚”と表現していましたが、どういう意味か。
これは、”万物は流転する”意味を指すらしく、動的なスポーツにはぴったりだ。
古代ギリシャの哲学者・ヘラクレイトスの言葉から来ており、ピッタリ似通う。
この哲学者は、変化と闘争を万物の根源として、火をその象徴としたらしいよ。
”戦いは万物の父であり、万物の王である”と伝承されていて、それはスポーツ。
こんな感性で満たされた作品は、一瞬の動きが切り取られてイメージが再構成。
でも、なにゆえに開高健とハンスエルニの間に関係があるのかと言うことです。
それは、本人が小説のモチーフにこの画家の作品を、取上げていたからでした。
そして、そのタイトルが「裸の王様」で、第38回下期の芥川賞受賞作になった。
作品では、スイスのピカソだと紹介しますが、どうも違うような気がしました。
ピカソの作品は、何か絵が止まっているようにしか見えず、動的ではないんだ。
一方、エルニの作品は動線が瞬間で切り取られ、その印象が絵の中に出現する。
この違いは明らかで、ピカソになぞらえずとも、堂々たる巨匠だと思いました。
と言うわけで、冒頭に掲げた作品は、ハンスエルニならではのものでしょうな。
ところで、この開高健の箴言は、どの作品から抜粋されたのか、分かりません。
結構、ネットで流布されているのですが、それらしくでっち上げて、ほくそ笑んでいる人がいそうな気がして、ちょっと疑ってしまいして、だれか親切に出典を教えてくれる人はいないものか、と思ってしまったのでした。
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