蔵王温泉スキー場とライザワールドのゲレンデに挟まれた小規模スキー場です。
両方とも規模が大きいし、蔵王温泉なんかゲレンデが複数集まった印象だもの。
この猿倉スキー場は、上山温泉から蔵王方面へ向かう県道の途中にあるんだな。
しかも、枝分かれする蔵王エコーラインに入れば、ライザワールドに到着する。
なので、スキー客を奪われてしまう感じで、どうしてここに立地しているのか。
一つ言えるのは、両方より標高が低く、ひどい降雪の時は猿倉の方が有利です。
蔵王温泉だとゲレンデ最上部は千七百メーター、ライザワールドもかなり高い。
真冬の時期に滑ると分かりますが、寒いのなんのって吹雪いていれば最悪だな。
そうであれば、天候の条件が悪ければ、代わりのゲレンデが果たす役割はある。
最上部でも八百メーターを超える程度だし、リフト二本だから迷子にならない。
もし、連れを見失えば、レストハウス戻って待っていれば、簡単に再会できる。
なので、そんな立地条件もあるかなと思いましたが、実際はどうも違うみたい。
実は、このゲレンデは、蔵王山の硫黄を採取していた猿倉鉱山の跡地なんだな。
まず、グーグルマップで付近を調べていると、蔵王鉱山跡の標示を見つけたの。
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まあ、地図機能の利点は、クチコミ投稿で地名をクリックすると表示されます。
個人の投稿した説明もありましたが、ウイキで蔵王鉱山も紹介されていました。
それで、蔵王稜線部に硫黄鉱脈があり、産出した鉱石の運搬方法で驚きました。
つまり、山麓の猿倉まで索道が敷かれていて、鉱石を搬器(専用カゴ)で運ぶ。
選鉱場もマップで地名が紹介されていましたが、かなりの距離で運んだようだ。
索道は要するにリフトみたいなもので、この鉱山には三本敷かれていたとある。
第一索道は、坑口より20基の支柱(やぐら)で長さ3.2キロで選鉱場へ到達。
その後、第二・第三索道で上山駅に運ばれて、貨物車に積載し出荷されていた。
こうなると、長大な索道を運営する技術が、この猿倉鉱山にあったということ。
だから、昭和31年に蔵王の観光ロープウェイが設置されたのも、むべなるかな。
つまり、産業施設から観光施設に発展したという、そんな風な自分なりの理解。
ただ、鉱山の方は、発破のダイナマイトから硫黄が発火して火災が発生します。
それが鎮火することもできなくなり、昭和38年に閉山してしまったのが残念だ。
もっとも、化学合成の安価な硫黄が主流になったから、閉山を決めたのだろう。
まあ、渡りに船の感じだったのだろうが、会社には広大な土地が残された事実。
かつては企業城下町が作られた背景もあるし、会社も簡単には退けないのです。
なので、土地を活用して雇用も考えて、観光施設をオープンさせたのだろうな。
こうして、スキー場を中核として、会社も年間を通じた観光施設を築き上げた。
パンフを見てもそのことが分かるし、だけどHPのご挨拶が泣けて来ますなあ。
というわけで、地元に留まった人が、事業を起こし再生させたということです。
こんな歴史があるとは露知らず、ただ滑りに行って蔵王のくせにずいぶんとコンパクトなゲレンデだとほざいていた自分が少し恥ずかしくなってしまって、そうであれば、この場を借りて、皆様もぜひ滑りに行っていただきたいとPRしたくなった故郷再生ゲレンデなのでした。
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