2021年3月10日水曜日

怪談でお馴染みの稲川淳二さんは、本職が工業デザイナーだったんだそうですが、流麗なフォルムに実用性を見出したこの作品を見ても、その大切さがわかるな ー 天童高原スキー場(天童市・山形県)

バタフライスツール
   
天童の名称で思い出すのは、家具製作所の天童木工が作るバタフライスツール。
MOMAニューヨーク近代美術館やパリ・ルーブル美術館で、永久収蔵品なんだ。

その他、各国の著名な美術館にも収蔵されていますが、そのフォルムが美しい。
柳 宗理の作品ですが、戦後日本の工業デザインの確立と発展で最大の功労者だ。

天然木成型合板という強度のある素材を活かして、限界を求めたデザインです。
このため、極限まで無駄を削ぎ落しつつ、優雅な湾曲を描いており見とれます。

座るのが勿体なくなってしまいますが、そんな意匠を形にしたのが天童木工だ。
それで、本社・工場は、このゲレンデのある天童市に所在するということです。

元々、この町では将棋の駒づくりが有名で、木工関係の職人も数多くいました。
その業者が集まり家具建具工業組を結成したのが、この会社の発足なんだそう。

椅子自体は、テレビ東京の番組、”新美の巨人たち”で紹介されてもいましたね。
まあ、こういう優れたデザインの製品を見てしまうと、文化の高さを感じます。

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スキー場自体は、市民ゲレンデといった印象が強く、リフト二本とこじんまり。
自分が滑ったのは、ナイター営業で、地元のちびっこ達が飛ばしまくっていた。

そこを、おじさんがちんたら滑走していたわけですが、思い出したのは面白山。
実は、JR仙山線でしかアクセスできないスキー場として、ちょっと有名でした。

ただ、この天童高原を通過する県道305号線から林道経由では行けたのです。
一度、車で通行したことがあって、砂利道でしたが今では舗装されていました。

グーグルマップというのは便利でして、昔の記憶を頼りにたどる事ができます。
このため、面白山高原駅まで全部舗装になっていたので驚いてしまった次第ね。

もっとも、山形市の山寺からも舗装の林道が通じており、1.5車線と細い車道。
どちらにしても、隔世の感があって、道路事情が改善されたという事でしょう。

この道路、どちらも冬場は閉鎖されますが、スノーモービルなら通行できます。
そんな林道の思い出も、今回のゲレンデを書くにあたって地図をなぞったから。

平成6年1月2日滑走
        
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確か、ここで野宿したのだと思いますが、終日、トイレが開放されていたんだ。
ナイターで滑走していあたから、もう体がヘロヘロでここで野宿しかなかった。

というわけで、ここ天童で有名なのは、天童桜まつりの人間将棋の対局ですな。
この時期になると、必ず首都圏のキー局でも、有名な地方イベントとして報道されていますが、プロサッカーのモンテディオ山形の本拠地もここなんだそうで、この街を知っている人は知っているということになり、逆にこのゲレンデはスキーヤー、ボーダーからしてみれば知る人ぞ知る場所かとも思ってしまったのでした。
   
おまけ:面白山高原スキー場の投稿も読んでみてね。



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