Ermanno Wolf-Ferrari(1876 - 1948) |
エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリは、イタリアのオペラ・ブッファの作曲家。
二十世紀前半に活躍して数多くの歌劇を書きましたが、忘れ去られてしまった。
今日、その名を残しているものは悲劇「マドンナの宝石」からの間奏曲ぐらい。
作曲は喜歌劇を中心としましたが、他方、バイオリン曲は終生作り続けました。
でも、作品はほとんど演奏される機会も少ないのですが、この作品は少し違う。
CD録音に残したソリストもいるくらいで、ユーチューブの動画でも視聴可能ね。
女性バイオリニストのフランチェスカ・デゴも録音していますが、来日したな。
N響との共演でパガニーニの1番を弾いていて、イタリア出身だからお手の物。
テレビで視聴したのですが、顔だちも美しくいソリストゆえ演奏会に映えます。
これから、もっと活躍するのだろうと思いましたが、話はフェラーリの協奏曲。
誕生の経緯に裏話もありまして、ご本人は女性ソリストのために作曲しました。
当時、ヨーロッパで活躍中の見目麗しきギラ・ブスタボさんに捧げられたのよ。
70歳の爺さんが、27歳の新進気鋭の才気煥発なレディに虜になったのだろうか。
第二次大戦の最中とはいえ、四楽章の魅力的な作品に昇華したのは、驚きです。
世相が混乱していても味わい深い作品になったのは、芸術は別物だからだろう。
同じ頃、コルンゴルドもバイオリン協奏曲を発表しましたが評価は散散だった。
アメリカでは時代錯誤と酷評されましたが、両方ともロマンチックな作風です。
でも、不協和音だらけの現代音楽よりも、聴いていて豊かな人生を感じますな。
ただですね、このギラさんは、戦争が終わっても本国のアメリカに帰れません。
ナチス占領下のヨーロッパで演奏を続けていたから、協力者と烙印を押される。
しかも、ナチスから距離を置かなかった名指揮者メンゲルベルグと共演もした。
こうなると、帰国できるようになるまで、四半世紀を待たねばならなかったの。
というわけで、彼女は指揮者ルドルフ・ケンペとの共演で録音も残しています。
ユーチューブで聞けるのですが、なかなかのヴィルトゥオーソだと実感しまして、あのナチス協力者の印象さえ生まれなかったのなら、もっと世界中で活躍もできただろうし、早く帰国もできたのではないかなあとも、思ったのでした。
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