もらいました(昭和59年12月9日滑走) |
ここには、全日本スキー連盟の公認学校があります。
常時開設され、校舎もあるし教師も張り付いています。
しかも、バッジテストの合格レベルは飛びぬけて難しい。
しかも、バッジテストの合格レベルは飛びぬけて難しい。
ここで合格したら、勲章ものだという噂なのです。
このため、スキー合宿で滑りに来る人もかなりいます。
このため、スキー合宿で滑りに来る人もかなりいます。
自分が滑った時は、あるクラブの人たちと一緒になりました。
それは、新潟県豊栄スキークラブの皆さんでした。
それは、新潟県豊栄スキークラブの皆さんでした。
結構な団体で、総勢で二三十人はいたと思います。
リフト待ちで仲良く並びますが、直に会話も始まります。
リフト待ちで仲良く並びますが、直に会話も始まります。
だって、 することも無く寒いのを紛らわすにはこれしかありません。
平成6年当時のパンフレット |
その内、ご年配の男性と連れの女子高生と特に仲良くなりました。
この高校生は、二級の検定が目標だと話していました。
引率の男性は、どうも見守り役だけのようです。
引率の男性は、どうも見守り役だけのようです。
いろいろ話しましたが、団体で初すべりというのがものすごい。
何人か、スキー学校の先生が付き添いで指導しています。
何人か、スキー学校の先生が付き添いで指導しています。
みんな、きれいで型にはまった滑りにご執心な感じでした。
あの頃は、平板(ひらいた)と呼ばれたスキーが主流です。
あの頃は、平板(ひらいた)と呼ばれたスキーが主流です。
カモノハシの口ばしみたいな、 カービンぐスキーは未だありません。
天元台94パンフ(中前) |
現在、平板を見かけないほど滑走方法は変わりました。
板をピッタリくっつけないし、平行にかなり開いたまま滑ります。
つまり、 スキーが短いしおしゃもじ見たくなってくっつけられない。
つまり、
本当に滑走の理論が変わってしまいました。
一方、自分はただ滑っていればよく、今でも我流の極致です。
一方、自分はただ滑っていればよく、今でも我流の極致です。
滑りまくり、その爽快感やスリルだけを楽しんでいます。
そういえば、スキー人口の減少に歯止めがかからないそうです。
そういえば、スキー人口の減少に歯止めがかからないそうです。
若い頃には熱中していても、滑り続ける人がほとんどいません。
なぜなのか、考察はされていますが確たる原因も分からない。
なぜなのか、考察はされていますが確たる原因も分からない。
きっと、 いくら練習しても上手に滑られないから諦めてしまうのだ。
スキー学校で厳しい指導が仇になったのかもしれない。
上達しなきゃ楽しくないし、諦めてしまう人も出てくる。
今なら、たやすくくるんと回るカービングがあります。
今なら、たやすくくるんと回るカービングがあります。
そんなことを、当時のゲレンデ体験から思い出しました。
年を取れば、通年で楽しめるポーツ・レジャーが楽しいでしょう。
年を取れば、通年で楽しめるポーツ・レジャーが楽しいでしょう。
一方、寒さに我慢して楽しめないなら、放棄するのも自明の理。
そんな風にも思えて来るんですね。
そんな風にも思えて来るんですね。
というわけで、 後でこの男性からは優待リフト券を譲ってもらいました。
早めに引き上げるようで、その後を引き継いで滑りました。
早めに引き上げるようで、その後を引き継いで滑りました。
でも、リフト待ち三十分以上は相変わらずなのです。
ならぬ堪忍、するが堪忍の天元台、初すべりなのでした。
ならぬ堪忍、するが堪忍の天元台、初すべりなのでした。
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