2022年10月9日日曜日

”やれ打つな 蝿が手をすり 足をする”、小林一茶の句には、弱く小さき者へ視線が注がれていますが、自分もそうなのかもしれない ー 素人俳句(昆虫観察)

   
ゆずぼう【柚坊】は、アゲハチョウの仲間の終令幼虫(五令幼虫)の俗称です。
その前までの幼虫は、白黒の可愛げもなく鳥の糞に擬態していると思われます。

それが、終齢になると転じてきれいな緑色に変身しますが、これが可愛らしい。
ミカンなど柑橘類の葉を食べるので、柚子坊と呼ばれても当たり前でしょうな。

ただ、これもつかの間で、蛹になるため、ある日、突然、脱走を始めるのです。
あれ、いなくなってしまった、一抹の寂しさは感じますが、これも旅立ちです。

しっかと蛹になって、秋ともなれば越冬して来春の羽化へ永い眠りにおつきな。
健気な生き物よ、と若葉を食む終令幼虫も姿を観察しつつ、顔がほころぶんだ。

そんな時、この揚羽蝶の幼虫が逃げ隠れてしまうのを俳句にしたくなりました。
老いたのかな、俳句の真似事でもと、季節々々の印象を五七五の言葉にします。

  柚坊も 寝床探しか 出立(しゅったつ)や
  帰去来の 柚子坊の夢 春を待ち
  急ぎ旅 はなむけもなく 柚子坊や
  柚子坊の 寝床のありか 探しけり
   
このブログでも、時に俳句を投稿をしてきましたが、この柚子坊が季語なのだ。
まあ、”蝶”といえば春の季語ですが、夏秋冬となると”夏の蝶”ように枕詞付き。

夏や秋の季語に虫は多いのですが、愛嬌さから柚子坊に適うものはありません。
あるとすれば、兜虫(かぶとむし)、天道虫(てんとうむし)くらいだろうか。

一方、季語でただ”虫”といえば、秋の鳴く虫を意味するほどに興趣を誘います。
特に、”鉦叩き(カネタタキ)”は、”ティンティン”という鳴き声が風流らしい。


   
秋の虫の音、六波羅蜜寺の空也上人像を思い出す
 鉦叩き(かねたたき) 阿弥陀聖の 供人(ともびと)や
 鉦叩き 仏も出ずる 聖かな

秋の彼岸にて、秋の虫の鉦叩きを聞く
 鈴(りん)の音と 鳴き揃えたる 鉦叩き
 亡き人に 読経に揃え 鉦叩き
 位牌見て 忍ぶ気配に 鉦叩き 
  
実に、仏具にある”鈴(リン)”でも叩いて鳴らしたかのような風情もある音色。
思い出したのは、京都の六波羅蜜寺にある、念仏を唱え歩く空也上人の像です。

この像は、お上人様が鉦を叩きながら念仏を唱えると、口から六体の阿弥陀仏。
仏さまがが現れたという伝承を生き移したと言いますが、ふと思い出しました。

というわけで、俳句に季節を凝縮させつつ、秋の興趣を楽しんで時は過ぎます。
今回は、昆虫に目を凝らしつつ俳句をたしなんでみましたが、よく写生と言われるような、物や風景を観察して、そのありさまを絵のように十七文字の中に写し取るよりも、心の中に思い描く心象風景もありではないかと考える自分なのでした。



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