漫画家でタレントの蛭子能収さんが、認知症を公表したのは三年以上も前です。
それからは、介護など関連方面に絞って、仕事を抑えながらも活動しています。
現在でも、二十年来のマネージャーさんが、仕事のスケジュールを調整します。
なので、メディアの露出はめっきり減りましたが、公人での活動はあるんだな。
その蛭子さんですが、昨年六年ぶりの個展を開きましたが、最後になりました。
”最後の展覧会”と題した個展で、実は、本人がアートの新境地を見つけていた。
原色系で塗られた絵画を見ていると、ちょっとプリミティブアートみたいです。
全部で19点の作品中、一点三十万円の作品が何点も売約されたので盛況でした。
本人にも描くと言う漫画家、画家である職業の本能は、消えていない感じです。
テレビ番組で絵を描く風景を視聴しましたが、描くという意識は残っています。
ただ、認知症の影響なのか、対象の把握が極端に抽象化単純化されていました。
そして、画面構成の空間把握が破綻していて、まるで子供の描いた絵なのです。
ただ、認知症の進んだ蛭子さんの顔つきを見ていると、柔和で穏やかなんだな。
周りの人が気づかってくれて、不自由なく日々の生活を送っているのでしょう。
まあ、認知症になって作品も変化しましたが、芸術家もそうなってしまうのか。
それは、ルネッサンス期の大芸術家、ミケランジェロで、遺作となった作品ね。
88歳と高齢のミケランジェロが、命を燃え尽きる三日前までノミを加えていた。
ただ、仕上げることなく未完のまま、”ロンダニーニのピエタ”として残される。
この彫刻を見ますと、全体を掘り出しているが、ややあら削りで単純化のまま。
視力を失い、手探りで鑿を振るい、病に倒れる前日まで制作を続けたそうです。
でも、蛭子さんが描いたような絵画と同じく、抽象化へいざなわれた気もする。
とすれば、ミケランジェロにしても軽い認知症の症状が出ていたのではないか。
というわけで、老いて再び稚児になると言う現象は、作品にも現れるのだろう。
実際、NHKドキュメンタリーで認知症になった蛭子さんの描く絵画を見て、ひょっとしたら、ミケランジェロもそうだったのではないかと勘ぐってしまって、でも所詮は、死人に口なしなんだからとも思ったのでした。
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