2025年10月23日木曜日

この碑の前に立ち、十勝平野の北の果てに聳える山々を見ると、広大な大地のスケールを感じられると鹿追町が紹介 ー 大島亮吉顕彰碑(北海道・道東)

   
九月末、父親の二十三回忌法要を決めて、旅行がてら北海道まで旅立ちました。
三十三回忌となると、喜寿に間近くて、できるかどうかも分からない年齢です。

なので、繰り上げ法要をしてからは、年忌法要などは無頓着で不心得者なのだ。
ただ、法要を行ってしまうと、後に残った旅の日程は、後は自由気ままな旅行。

まあ、紅葉が見られるかもしれないと思って、道東まで足を延ばしてみました。
母親の生まれ故郷は十勝なので、ここに二泊で観光地を巡り歩くことに決定だ。

自宅でグーグルマップから車の移動時間を調べつつ、色々と観光地を探します。
その時、然別湖から士幌方面へ抜けるルートを調べながら、この碑を発見した。

この地を踏破した登山家、大島亮吉を顕彰した石碑で、この人なら知っている。
戦前の登山界の黎明期にに活躍した人物で、著作”山: 随想”を読んでいました。

こんな名言を残している
     
ブックオフで買い求めた百円也の文庫本で、主に北海道は開拓期の登山行です。
戦前のアルピニストとして有名で、若くして前穂高で遭難死したのが痛ましい。

北アルプス槍ヶ岳の冬季初登頂も遂げた登山家は、未開の北海道に足が向いた。
その踏破の記録ですが、鹿追町の山、西ヌプカウシヌプリに登頂していました。

東にも同じく東ヌプカウシヌプリがあって、彼は双耳峰として紹介しています。
当時は、鹿追村として音更村から別れたばかりで、人里とは名ばかりの開拓地。

顕彰碑は、著作の一文を紹介していますが、開墾された土地も表現されている。
一方、著作の中では、時の経過で開拓地も、道路が開通されて発展するだろう。

それでも、広大な大自然の十勝を雄大に描き出した文章は、味わい深いのです。
若さの見受けられる描写もあるにせよ、それはそれで自然描写が勝っています。

というわけで、当時の開拓農民達は、蛋白源を求めて然別湖へ釣行したらしい。
著者にとっては、この踏み跡が手助けになって、双耳峰の西側へ登頂を果たしたようですが、湖にはミヤベイワナという貴重な魚種が生息しており、これが農民の日々の糧になっていたのは違いなく、他方ではこの湖が東京へ知られることになって観光地化していったのも、これが地域発展の歩みだったのだろうと思うのでした。



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2025年10月21日火曜日

”北海道はでっけーどー”は、北海道の広大なイメージを簡潔に表現した言葉ですが、この夕焼けこそピッタンコ ー 十勝が丘展望台(北海道・道東)

      
帯広平野の夕陽に染まる大平原を観望しながら、旅行の最後を締め括りました。
この”十勝が丘展望台”は、グーグルマップを検索するとすぐ場所が分かります。

点在する十勝川温泉の旅館街から、先ずは北の方へ十勝が丘公園を目指します。
それを見過ごして山の方へ上ってくと、整備された展望台が現れて観光地です。

なのに、日の沈むころを狙ってたどり着いたのは、我々夫婦一組という寂しさ。
代わりに、どこかの森林組合の請負作業なのか、除草の作業で騒音がうるさい。

芝刈り機で草刈りした後は、ブロワーで刈り取った草を散らしてやかましいの。
そんな騒音の中で、夕焼けに生える十勝川と十勝平野は、実に幻想的なんだな。

実は、十勝平野を見渡す展望台は散在しておりまして、どちらも素晴らしいの。
それより前、芽室町の”新嵐山スカイパーク展望台”を、日中に訪ねていました。

ここからは北東の方角で平原を見渡すので、日の沈み行く夕景を眺められない。
ですが、ここは絶景に違いなく、天気が良ければ訪問するのをお勧めしします。

    
さて、十勝川温泉の市街はまばらで、市街には道の駅があり源泉がありました。
”道の駅 ガーデンスパ十勝川温泉”と言って、浴衣を着て入る欧風のお風呂です。

このモール温泉は、植物由来の有機物が溶け込んで、独特の褐色を呈する温泉。
名称は”いで湯の磐座”で、岩の上から湯が流れて、緑の藻がへばりついている。

これが海草のようにも見えるので、昆布温泉と呼びならわす個所もあるぐらい。
天然の保湿成分を多く含むので、入浴すると肌が潤い、美肌効果が期待できる。

なので、札幌の定山渓に比べて帯広の奥座敷的な温泉で、そんな温泉街なのだ。
というわけで、圧巻の夕景を眺めつつ、この展望台にて旅を締めくくりました。

この後、JALの最終便で羽田まで舞い戻って帰宅したのですが、途中、日も暮れて空港までどこを走っているのか見当もつかず、カーナビだけが頼りで街灯のない暗い道を走ると、やはり、北海道の広大さに触れた感じもしたのでした。



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2025年10月19日日曜日

地方経済の疲弊を男女関係に絡ませて描くのも、道産子としてはいかがなものかと思う ー ホテルロ-ヤル(第149回直木賞受賞)

         
道東にあるホテルローヤルというラブホテルをモチーフにした短編小説集です。
簡単に言えば、北国のラブホテルで心をも裸にしてまさぐりあう男と女のお話。

ただ、そこに至るまで人には人の人生の大切な断片があり、抉り出しているな。
登場人物には、互いの孤独を重ねる中に見える、各人の心象風景が存在します。

北の大地のように心寒い気もしますが、それは地方経済の疲弊を象徴している。
明るく活気のある話なら、イケイケどんどんで、分かれても別の人が見つかる。

気に病むこともなく楽しく暮らせそうなお話なら、ラブホ経験も楽しいだろう。
ですが、タンチョウヅルが宙を舞うような、広大かつ荒涼な釧路湿原が原風景。

人生には有為転変もあり、商売も立ち行かなくなり、そこには経済が絡みつく。
実は、この小説を読んで、NHKの銀河テレビ小説”家族日記”を思い出しました。

このドラマは、話の筋の展開が沈鬱で、離婚の危機にある夫婦を描いています。
その中で、息子は、なんとか元に戻したいと一生懸命に力を尽くすという設定。

すでに半世紀前の放映ですが、主題歌を北海道出身の松山千春が歌ってました。
タイトルは”夜明け”で、未だに耳に残る良い曲なんだが、ドラマは視なかった。

ドラマ全体も暗いし、主役の河原崎建三が演じる夫のふがいなさが嫌だったな。
視聴しなくても、曲だけで思い出せるドラマですが、それが斜陽の港町、釧路。

一方、地元湖陵高校出身の大学の同窓生が、故郷が懐かしいのか話にしていた。
最近では、NHKドラマ "地震のあとで"の「UFOが釧路に降りる」も見ました。

釧路が舞台で舞台設定にラブホが出てくるのですが、この小説のオマージュか。
村上春樹の連作短編小説の一篇ですが、SFっぽい描き方で良くわからない小説。

とにかく、良くも悪くも釧路というか根釧地方はドラマの表舞台になるようだ。
というわけで、小説自体の筋書きは面白いので、是非一読をお勧めいたします。

ただ、R18指定っぽいので未成年には読んでもらいたくなくて、どちらかというと、酸いも甘いもかみ分けてきたような人生経験豊富の方々にぜひ読んでもらいたいと希望する自分なのでした。



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2025年10月17日金曜日

キッチンが狭くて、洗った食器を置く場所がないと悩みを抱えている人も多いらしく、我が家も当てはまっていた ー 水切りラック(そのほか)

    
上さんが、狭いキッチンでいつも不平不満を言いますが、マンションだからね。
住んでから三十年も経ちましたが、入居した当初は独身だったから気にしない。

やがて結婚して、上さんが料理やら食器洗いの後片付けなどで家事も増えます。
特に、食器を洗った後に、水切りで仮置きするラックを置くのにも苦労します。

まあ、一人暮らしから樹脂製の水切りラックをシンクの脇に置いて使っていた。
この置き場所は、シンク周りが狭いせいで、上さんも不承不承で使ってきたな。

でも、樹脂のシンクというのは年月が経過すると、表面が薄汚れて汚くなった。
なので、上さんは新しいのを買うと言い出して、ネットでよく探していました。

どうもニトリに適当な品を見つけたらしく、近所の出店へ行こうと言い出した。
まあ、歩いて行ける範囲ですから外食の晩飯も兼ねて出かけることにしたわけ。

もちろん、横40センチ、奥行30センチの寸法に収まるような品物が必要です。
それで、この寸法はどうも標準的な商品らしく、アマゾンでよく見つかるんだ。

ニトリへ行ってみると、ラックはステンレス製と金属枠に樹脂塗装の二種類だ。
どちらにするか迷いましたが、水受けトレイに排水ドレインのついた後者だな。

ただ、取り付ける時、シンクから壁際までが20センチ足らずなのではみ出ます。
それに、トレイは周囲四か所に足がありますが、二か所がはみ出て使えません。

そのまま使うと、トレイが傾いて重みでラックごとずり落ちてしまいかねない。
なので、トレイが水平に維持できるように適当な足をこさえて取り付けるます。

というわけで、代替えして、おんぼろの樹脂トレイは引退するのでありました。
キッチンは物理的に狭いのですから、現状にあるスペースを活用して、食器洗いの水切りトレイを置くしかないので、このような措置になったのですが、上さんからは狭い狭いといつも文句を言われても、新しいお家へリハウスできるほどの甲斐性もないなと、思ってしまう自分なのでした。



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2025年10月15日水曜日

天売島の海鳥繁殖地は、天然記念物に指定されているぐらいだから、この海鳥の繁殖も絶えないでほしいな ー オロロン鳥(野鳥観察)

   
この間、本棚に挿していたパンフレットが、何かの拍子でパラリと落ちました。
物音がしたので、何だろうと見てみると、北海道は天売焼尻島のパンフレット。

十数年前に現地へ旅行した際に入手したもので、雨露に濡れたのか状態は悪い。
表面はしわで波を打ってザラついて、印刷した紙面の縁が擦り切れていました。

状態がかなり悪いのですが、焼尻島は花の図鑑で、天売島は海鳥の図鑑なんだ。
どっちが、表表紙か裏表紙なのか判然としませんが、焼尻島が表表紙だろうな。

まあ、焼尻島だと思うのは、フェリーが先に到着して次に天売島へ向かうから。
なので、表側が焼尻島と判断しましたが、個人的には海鳥の天売島が魅力的だ。

だって、季節になると百万羽の海鳥が、繁殖のために営巣するという小島です。
住民は、当時でも三百人ほど、ウニ漁の漁師さん以外には観光旅館の人々とか。

それでも、観光シーズンになると一日五~六便が、羽幌港から運行されている。
なので、離島でも不便さはないのだが、何せ北海道だから僻地なのは事実です。

     
それで、夫婦共に出かけたのも、オロロン鳥をこの目で見たかったからなんだ。
当時は、繁殖地としてわたってくる生息数が、十数羽と極端に減っていました。

半世紀前には、八千羽が営巣していたと言いますから絶滅するんじゃないのか。
そう思うと居てもたってもいられずに出かけたのですが、見つけられなかった。

島をめぐるハイキングコースの途中、海鳥観察舎があって立ち寄ったのですな。
コースからそれて断崖絶壁にへばりつくように小屋があって、中は蒸し暑いの。

北海道でも八月は熱く、通風の良くない中は蒸し暑く、蜘蛛の巣が張っていた。
室内にあった大型の双眼望遠鏡で、営巣の崖を見たのですが、良く分からない。

カモメが飛んでいるのを認識しただけで、オロロン鳥はどこにいるのだろうか。
というわけで、ネットで調べ直すと、2024年の飛来数は122羽だったと発表。

最近は、オロロン鳥の餌となるニシンも資源が回復しているようで、産卵期に見られる海水の白濁現象の群来(くき)も見られるなど、海鳥にとって繁殖によりよい環境が整ってきているのを、うれしく思うのでした。

おまけ:永久保存版でPDFを作成しました、ここをクリックして下さい。



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