今であれば、児童虐待と呼ばれかねない両親に育てられた、主人公の小説です。
作者の自伝的な記憶が色濃く投影されていますが、本人には重ならないだろう。
なぜなら、家族関係が少し異様で、恥かきっ子の自分は老いた親とに壁を持つ。
父親は、戦争の召集でシベリア抑留を経験したせいか、少し心を病んでいます。
気難しさが災いして母親もその性格に影響されて、精神的に不安定な心持ちだ。
そんな、両親の許で育ったイク(主人公)ですが、風変わりな家庭環境だった。
他方、戦後の混乱から経済も復興しつつある、昭和の田舎暮らしが生活の基盤。
こういった舞台背景で、人以外に犬猫の動物との交流が、イクを癒してくれる。
しかも、地名は仮称なのですが、滋賀県の近江八幡市が舞台なのは間違いない。
だって、旅先でメンソレータムを製造していた近江兄弟社を、訪ねているから。
現在では、倒産後に”メンターム”と商品名が変わりましたが、なじみ深いのだ。
この事業は、戦前にかの地でキリスト教を伝導していた牧師が起こしたのです。
まあ、子供時分に本を読んで知っていたからで、小説にも教会が関わりますな。
だから、イクはキリスト教の信者であり、祈りの描写もあったような気がする。
だいぶ脱線しましたが、イクにとって関わり合った犬は、和ませてくれるのだ。
共働き家庭という、子供にとっては寂しい環境の中で、心を通わせてくれる犬。
本当に理解していたのかはわかりませんが、イクが上京するまでの平凡な日々。
それが、大学へ入学して以降、犬は飼えなくても、犬との接点は切れないのだ。
貸間の家主の犬を散歩させたり、しつけをしたりと、今までの経験が役に立つ。
その後は、両親の介護やら健康を害したりと大変な人生でも、犬は寄り添うな。
つまり、小説のタイトルが”昭和の犬”ですから、イクの人生のファクターです。
このファクターが人生を彩どって来たのであり、それこそが、心の平穏の糧だ。
というわけで、最後まで読み切ると、ホッとした気持ちになるのが救われます。
それで、細かい小説の描写として、高校時代の話で、近所の食堂メニューに天輪焼が出てくるのですが、これは一般的な今川焼に過ぎなくて、なぜ三重の松阪で知られる焼名を使ったのか、なんだか不可思議に思ってしまったのでした。
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