「プラハの春 モスクワの冬」 パリ通信 |
これを出さないと単位は当然もらえず、四百字詰め十枚というかなりの文字数。
しかも、ロシアと東欧の関係で担当する助教授の専門分野から出題されました。
それで、若い頃は、平等で公正な社会を目指す社会主義に共鳴したのも事実ね。
それに、当時のソ連が東欧諸国を従えたコメコンの体制にも興味がありました。
この頃は、資本主義体制の西側と社会主義の東側諸国が拮抗していた冷戦時代。
戦火を交えるようなことはなかったけれど、核開発など軍備拡張の激しい競争。
当然、対立の結果、東側は西側の芸術文化を封鎖して、人の目に触れさせない。
でも、東側の人々は西側の体制にあこがれていたから、弾圧、検閲は当たり前。
そんな厳しい情報封鎖の社会ゆえに、レポートを書くには参考書籍も少ないの。
図書館に通って、片っ端から目ぼしい文献をしらみ潰しに読んだのが懐かしい。
こうして、原稿目一杯の十枚で書き上げて提出しましたが、単位は優でしたな。
十数冊の参考文献を挙げた力作で、先生も驚いたのかなと今になって思います。
それで、提出先は当時助教授だった栗生沢孟夫先生で、スラブ史が専門分野だ。
後年、北海道大学に行って文学部長を勤め上げられて、その分野では高名です。
それで、リポートでは東欧諸国の民主化運動という歴史・動静を取上げました。
きっかけは、チェコスロバキアで起きた民主化運動、”プラハの春”の記憶です。
出来事から十年も経過していない頃で、子供ながらも弾圧の報道を覚えている。
まあ、昨年から過激だった民主化運動の香港が、中共に弾圧されたのと瓜二つ。
白黒のニュース放映では、首都プラハでソ連戦車が人々を蹴散らしていました。
プラハの春 天安門事件そっくり |
ただ、驚いたのは、人々が素手でその戦車を取り囲んで抗議をしている姿です。
その勇気に感動しましたが、本当はチェコという国は、民主主義国家だったの。
それが、第二次大戦後にソ連の社会主義圏にやむを得ず、組込まれてしまった。
だから、本音では西側に復帰したいと考えていたのも事実でハンガリーも同じ。
それよりもっと前に、ハンガリーでも動乱が起きていますが、あっけない弾圧。
要するに、東欧諸国には、第二次大戦前でそれなりの民主国家が存在しました。
それが、ソ連の政治工作活動によって、戦後、社会主義政権の樹立へつながる。
本当は、チェコなんて大統領制の民主国家復帰目前で、転覆させられています。
うーん、ソ連恐るべしと思いましたが、比べると中共の香港弾圧は荒っぽいな。
しかも、弾圧目的で制定した国安法は、他国でも取り締まりできる法律だって。
普通、法律というのは、主権の及ぶ国家が制定した法律が有効で属地主義です。
ところが、この国安法を使えば、他国で民主化支援をした民間人も取締り対象。
だから、香港へ行ってバレたら逮捕だから、恐怖の中国へ行くのは止めようね。
まあ、チェコの民主化運動の歴史があるからこそ、台湾を支援する背景もある。
つまり、台湾は香港を下敷きにした一国二制度の扱いのままで、国家ではない。
しかも、独立を画策すれば攻め込んで懲らしめると、中共は恫喝を喚き散らす。
最近では、連日、台湾の領空に人民解放軍の戦闘機が侵入して心理的な圧迫だ。
だから、チェコはその台湾の民主化活動に賛同を示し、外交訪問したのだろう。
チェコ議長、総統と異例の会談 |
人口一千万人の小国ながら大議員団が訪問したのは、よほどの勇気と思います。
でも、彼らは自分たちが勝ち得た民主化運動の歴史を経験しているからこそだ。
逆に、焦った中国は、外相の王毅を訪欧させたんだけど、脅しの繰返しに終始。
味方しないと、輸入しないぞ、融資しないぞとか、結局、思想でも何でもない。
あるのは、欲得で味方してくれたら、おいしいことがあるぞという銭ゲバ根性。
こんな破廉恥思想の中共連中には愛想が尽きたというのが、本音なのでしょう。
というわけで、中共は”プラハの春”という事件の教訓が分からなかったらしい。
もっとも、中共というのは自分たちの権力基盤を維持するために、常に自分たちに有利な歴史の書き換えを行って、中国人民を欺いている国家でもありますので、結果、真実の歴史に学ぶことすらなく、反省もせずに朽ちていくのが性分だと納得した自分がいるのでした。
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