2021年2月10日水曜日

この村落は、平成の大合併で三つもゲレンデを持つ自治体に変身してしまって、それが自分的には興味を引かれたというスキー行 ー 治部坂スキー場・あららぎ高原スキー場(長野県阿智村)

治部坂峠より蛇垰山
      
治部坂のゲレンデは、国道153号線の道路脇から蛇垰山に向かって広がります。
国道の通る治部坂峠で標高が1178mになりますので、雪が積もるのは当然かな。

今回、ネットで調べてみて、背後にそびえるこの蛇垰山が紹介されていました。
山の形もずっしり構えた感じで、スキー場から山頂まで道路が開かれています。

途中、戦国大名の武田信玄が設けた狼煙台の史跡もあり、歴史的に重要でした。
周りに高い山塊もなく見晴らせたからでしょうが、南アルプスが眺められます。

山頂から眺望も写真に取り上げられて、初めて聖岳の美しい姿を確認しました。
標高三千メーターを超える高峰で、昔、赤石岳から縦走をした時に登りました。

この時、荒川岳~赤石岳~聖岳を三泊四日で歩いたけど、山の姿が分からない。
一度、稜線上に出れば多少起伏はあっても、赤石岳から意外に平坦な縦走です。

なので、聖岳がどんな山の姿をしているか分からないまま、下山した思い出ね。
今回、記事を書く上で調べたので、これほどまでに秀麗な名山と分かりました。

まあ、この目で実物の姿を眺めてみたいので、将来、この蛇垰山を登ろうかな。
それで、この国道153号線は三桁番号で、それほど重要な道路に思われません。

ですが、本当は江戸時代の五街道に準じて整備された脇街道の三州街道が前身。
この街道、俗に言う塩の道で、雪深い内陸の住人には塩は生活に欠かせません。

漬物や味噌など食べ物を保存する必要もあって、この街道で運ばれていたのか。
だから、この浪合地区は歴史も深く、南北朝時代の尹良親王墓なる史跡もある。

そんな奥深さを感じさせる田舎という感じですが、昨今は高原地帯の観光開発。
別荘地の開発もされて、グーグルマップで探すと、ものすごく小規模な分譲だ。

治部坂エリアはかなり大規模ですが、五座小屋峠とかあららぎ別荘はちんまり。
その内、見捨てられる危惧してしまいますが、あららぎにはスキー場があるな。

平成16年3月5日滑走

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ここは隣接がゴルフ場で、運営する土地所有者が斜面を有効活用したのだろう。
国道から案内看板はゴルフ場だけが立派で、スキー場のは村道の案内表示のみ。

”ゴルフ場・スキー場 蘭線”とだけ記した標識で、ほとんど客寄せにはならない。
たまたま、治部坂を滑り終えて車を走らる内に、目に入ったから行ってみたの。

PRする気があるのか分からないくらいで、残念、現在はネットで休止中の通知。
もっとも、隣接のゴルフ場だけで運営はなんとかなるらしく、廃止にならない。

それで、ここで見かけた四人掛けリフトは、秒速2mほどの標準的な索道です。
本来、高速のクワッドリフトは搬器が索道から外され、ゆっくりで乗りやすい。

片や、この四人掛けは、座席が索道に固定された状態なので減速いたしません。
しかも、座席が長く回転径が大きいので、待機から乗車まで移動が長くなるの。

もし、急いで乗ろうとして転ぶお客さんもいたら、緊急停止が増えるかもなあ。
このため、安全な移動のため、水平エスカレータが確か取付けられていました。

ところが、これに乗ると引っ張られるショックがあり、あまり気持ち良くない。
ネットではローディングカーペットと紹介されており、そんな思い出だったな。

というわけで、この阿智村は平成の大合併でゲレンデが三つある自治体に変身。
このうち、ヘブンスそのはらと治部坂は通年型の観光施設になっており、自治他にとっては観光産業の振興になるので冬場の客寄せ対策になりますが、あららぎ高原は、ゴルフ場とスキー場が完全に別物ですので、その分集客は期待できなくて、その結果、ゲレンデは休止になったのであろうなと思った自分がいるのでした。



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