五歳にやっとなったばかりでも、幼き子供の見た絶景は忘れられませんでした。
その本人が自分であって、自分の家族が、まだ北海道に住んでいた思い出です。
父親は、職場がJR北海道の前身である日本国有鉄道で、保線区の助役だったな。
3DKほどの木造平屋の官舎に住んでいましたが、今考えても大きかったと思う。
保線区の職員さんも遊びに来て、お土産にスパナをもらった思い出もあります。
このスパナは非常に高価なもので、今の年齢になっても使い続けているのだな。
以来、六十年も使い続けて刃こぼれも起こさず、未だにDIYに重宝しています。
そんな幼児の記憶ですが、自分にとっての最大の思い出が国鉄職員の謝恩旅行。
家族全員も参加して、知床半島から摩周湖を周遊する一泊二日の旅行だったな。
知床ウトロの市街では、大広間のような部屋に雑魚寝をするなど贅沢ではない。
当時は観光だとしても、それが十分すぎるような旅行だったとは、思うのです。
朝早くから起こされて港の岩山を上った記憶もありますが、それがオロンコ岩。
それから、半島の遊覧船に乗ったりして次に移動したのが、快晴の摩周湖です。
後年、布施明の歌った”霧の摩周湖”で有名になりましたが、この時はピーカン。
その絶景は、それが半世紀以上経っても脳裏に焼き付いて忘れ去ることはない。
なので、どうしても改めて眺めたくて訪れましたが、神様が恵んでくれました。
いやあ、第一展望台からの見晴らしは圧巻で、遠方には斜里岳も望めるのです。
湖畔には、カムイシュ島と呼ばれる小島があり、背後には摩周岳がそびえたつ。
というわけで、当時の道路は砂利道だったような記憶もあるがよく分からない。
道道52号線は、屈斜路湖から摩周湖をめぐる正に観光道路であって、昭和29年に開通した時点から舗装されていて、自分の記憶違いかもしれないなと思ってもいたのでした。





 
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