富士山の夕景がきれい |
房総半島に移住した大学の同窓に再開して、元気そうだったので何よりでした。
物置きの小屋付きで土地を購入して、棲みつく計画のようですが、道半ばだな。
どうも、借家住まいで、現在は住まいが出来上がるまで通い詰める日々らしい。
他の同窓生が話した情報では、住んでいる借家の場所が遠い印象を受けました。
なので、最初は、その小屋から自転車で飲みに行くと勘違いしていた分けです。
近場にある何々銀座という飲み屋街を調べると、十キロ以上も離れているんだ。
ですが、判明した借家からは近く、それでも自転車で十五分ぐらいの距離です。
まあ、飲んだ帰りに夜道を酔って自転車をこいで帰れば、かなり危ないだろう。
気を付けろと助言しましたが、本人はどこ吹く風なので、本人次第にしました。
それで、自治体は市なのですが、タクシーは夜の十時で営業終了になるみたい。
飲んで帰る時は、タクシーも頼めないので、みんな車で来て代行を頼むようだ。
そこが呑み助ならではの田舎暮らしの不便さ、金のかかる所なのでしょうなあ。
まあ、あいつはチョンガ―暮らしで、飲みに出かけるのは大目に見るとしよう。
それで、どうして千葉県の房総半島に引っ越したのと聞くと理由がありました。
閉鎖的でなく、みんな大らかでのんびりしていて、人当たりの良い場所らしい。
でも、昔は沖縄に移住するつもりで、どうして心変わりしたのかと聞きました。
すると、沖縄は意外に閉鎖的だそうで、よそ者は違う世界の人だと見られがち。
人間関係がかなり難しいようで、顔も名字も全然違ってくるので、すぐバレる。
こうして、沖縄の人じゃないと分かれば、何かよそよそしい態度を取るのかな。
つまり、地縁が強いので、家屋や土地の購入には地域の有力者の了解も必要だ。
こうなると、ややこしいハードルが一気に上がるようで、かれは諦めたらしい。
でも、石垣島の人は開放的で人柄が違うと言っていたので、島々で違うのかな。
特に、八重山諸島は、琉球語でも沖縄と方言が違って会話ができないほどです。
逆に言えば、歴史的には、島と島の交流が意外に少なくて閉鎖的だったのかも。
<房総半島と紀伊半島の類似点>
① 房総半島・紀伊半島のどちらにもある地名
勝浦・女良(目良・布良)・白浜・加茂・田子・浮島・網代
② 房総半島・紀伊半島のどちらにもある郷土料理
イワシやサンマのなれずし・なめろう
③ 房総半島・紀伊半島のどちらにもある言葉
たく(煮る)・おおきに(ありがとう)・われ(おまえ)
それに比べて、房総半島は他の地域から移住した人が、歴史的に見ても多いな。
特に太平洋の黒潮の流れは、西日本の紀州から渡ってきた人も多いと聞きます。
銚子は醤油の産地ですが、あれは和歌山の湯浅の人間が渡って伝えた醸造法だ。
それから、鰯漁の漁師も、豊かな漁場を求めて、祖先が移り住んだと言います。
なので、昔の言い方で言うと安房、上総の国は、海による交流の多かった場所。
こういった地方では、移り住んだ人を温かく迎える気風や土壌ができたのかな。
というわけで、気候も温暖なかの地は、老後の暮らしには向ているのでしょう。
そこで思ったのは、他から来た人の受け入れが寛容な土地柄として、北海道の十勝地方みたいな感じもしまして、その割に移住先ランキングでは、そこそこ上位には入るものの、目立たたずに取り上げられることも無くて、そういう点では逆に移住しやすいのだな、と感じたのでした。
整理棚を作成中のようだ |
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