2014年9月11日木曜日

現地でかつての運営会​社を口にするのはタブ​ーみたい - メープルヒルリゾート​スキー場 (栃木県)

平成3年12月28日滑走

確か、朝四時から七時までの早朝券を買って滑りました。
ここまでちゃんと記憶しているのに、リフト券が家の中で見つからない。

そんなはずはないと探すこと、一時間半、ようやく見つけだしました。
スクラップブックの保管先が、普段と違うところで思い出せませんでした。

整理整頓の悪さでしょうが、健忘症にでも罹ってしまったらどうしよう。
そんな不安はさておき、記事を書き続ければ、ボケることはありますまい。

さて、このゲレンデは、正月休暇でスキー滑走行脚の旅に出た初日でした。
この後、一月四日までしめて十五カ所のスキー場を訪れております。

栃木~福島~秋田~青森~岩手の各県を巡業みたいに滑りました。
その口開けが、メープルヒルだったのですが早朝の到着には理由もあります。

当時はスキー渋滞がひどくて、これを避けるためにいつも夜中に出発しました。
もし早めにたどり着けば仮眠していればよいだけですが、ここは営業中です。

グーグルドライブはこちらから

早速滑っちゃおうということで、いざゲレンデへ出ましたが誰も滑っておりません。
ほとんど貸し切りのゲレンデ状態で、思う存分滑走を堪能させてもらいました。

このスキー場、実際に営業された期間が、わずかに十年ちょっとと短命でした。
ゲレンデ自体、古株の鶏頂山スキー場とは資本関係があり一緒で紹介されます。

パンフレットを見ても乗り入れが想定されて、コースが開発されていました。
一方、すぐ隣のエーデルワイススキー場は、別会社のもので経営が違います。

さて、このメープルヒルは、シュガーアイランドが経営の一翼を担っていました。
名前からも連想できますが、元々はお菓子屋さんから出発した企業なのです。


カナディアンスタイルのイメージだそうですが、メープルシロップを連想しますね。
要するに、シュガーつながりの甘ちゃんの関係でスタートしたということでしょう。

結局、バブル景気が弾けてしまえば、急激に庶民の財布の紐は固くなります。
追い討ちを掛けるようにスキーブームの終焉もやって来て、客足が遠のきます。

ゴルフやホテルなどの過大な投資も祟って、負の遺産が連鎖するようになる。
こうなると甘い汁も吸えなくなりまして、母体の企業も経営不振に陥りました。

結局、関連する三セクの鶏頂高原開発(株)の破産が、とどめになったようです。
時は平成十一年四月、新世紀を迎えることもなく、静かに幕を下ろしました。

要するに、失われた二十年の日本経済として、事業失敗の典型例かもしれない。
あの頃はバブル景気で、派手な投資や消費が時代の趨勢だったのでしょう。

この経営者なのですが、同じ県内に勘違いもはなはだしい投資を残しています。
実に三億円も掛けて、アイスランドにある迎賓館のレプリカを建設していました。

紹介記事のブログはこちらから

首都レイキャヴィクにある、ホフディ・ハウス(Höfði)と呼ばれる邸宅なんですね。
アメリカとソ連の核の恐怖による冷戦構造を崩す話し合いの場所になりました。

時の首脳、レーガン・ゴルバチョフ会談の歴史的な場所ですが、なぜ栃木なのか。
しかも、ミニ共和国の一つだった”大金いかんべ共和国の施設なのが微妙です。

それでも結婚式の披露宴会場やレストランだったようで、観光事業かもしれない。
なんだかわけの分からない、不思議なお金の使い道にも思えてしまいました。

と言うわけで、栃木の北部ではシュガーアイランドを口に出すのはタブーだそうです。
あれだけ派手に事業を推進しまくって大こけしたから、口も閉ざしたくなるでしょう。

そして、これに比べて堅実な経営のエーデルワイススキー場と違って、どこでどうやって道を間違えたのだろうかと、ふと考えてしまったのでした。


おまけ:
メイプルヒルリゾート・パンフ(表・裏)
メイプルヒルリゾート・パンフ(中)
メイプルヒルリゾート・パンフ(裏)


ご近所のゲレンデも紹介しております、、、、

この山に自生していないのだけれど県内には生えているからいいっか - 鶏頂高原見晴リゾート スキー場+鶏頂山スキー場(エーデルワイススキーリゾート)(栃木県)

名前をパクれば本家のご威光にあやかったのか有名になった - ハンターマウンテン・スキーボウル塩原スキー場(栃木県)


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