2015年1月28日水曜日

峠を越える三国街道の三宿は、全部スキー場になってたんだよ - 浅貝スキー場(苗場スキー場浅貝ゲレンデ)(新潟県)

平成3年滑走


今は昔、越後の代議士で初めて内閣総理大臣となった政治家がおりました。
それは、自民党の田中角栄氏でして、率いた政治団体が越山会といいました。

文字通り、山を越えねばならない意味ですが、それは険しい三国峠を指します。
雪深い上越から中央政界を目指す上で、この峠越えを大事に思ったのでしょう。

冬季に標高千五百メーターの山越えをするなど、今ですら至難の業に違いない。
雪雲が上越の山々にぶち当たり、積雪は容易に五メーターにも達するのです。

ところが、厳しい冬場ですら、戦国大名の上杉謙信は、関東へ出兵しました。
この進撃も越山と呼ばれたのだそうですが、どうして冬場に攻め込んだのか。

当時の足軽・雑兵は、一領具足の農民ですから、農繁期に徴用は困難です。
一方、収穫期が過ぎると、兵を養うために現地で食料の略奪が可能になります。

だから、軍神、上杉謙信は、秋から冬にかけて関東出撃を繰り返したのでしょう。
こうして、江戸時代より前の戦国期より、この街道は整備され続けて来ました。

それで、この街道沿いには宿場町が設けられたのですが、この浅貝も一つです。
三国三宿といわれていたそうで、峠から浅貝~二居~三俣と続いていきます。

現在は国道17号線が通っているのですが、この地名からはっと気がつきました。
実は、この三つの宿場町って、みんなスキー場が設けられ運営されているのです。

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特に二居は田代、三俣はかぐらのゲレンデがあり、ロープウエー駅を起点とします。
苗場スキー場は浅貝地区ですから、三国三宿は、正にゲレンデ街道なのです。

ただ、宿場の名称に因む浅貝スキー場が、苗場に吸収されて惜しい気もします。
他方、参勤交代の本陣だった温泉旅館は、創業四百年と立派に健在でした。

これだけ由緒の地名ですと、ぜひにスキー場の名称として残ってもらいたかった。
もっとも、スロープに余り特徴が見られませんので、生き残るには致し方ないのか。

大きなスキー場から溢れた客を受け入れていた時代も、はるか昔になりました。
今は、客の来る目当ては、苗場リゾートでしょうから、寄り添うのが正解でしょう。

というわけで、一時期、苗場スノーパルマベルカントとも呼んだスキー場でした。
自分的には、クワッドリフト一本を繰り返して乗っては滑った記憶しかありません。

ただ、関越道の高速をケチって、よく三国峠越えをしていた頃、必ず最初に出会うスキー場だったのが未だに印象的が残っていまして、文豪川端康成の”トンネルを抜けると雪国だった”のではなくて、この浅貝ゲレンデだったのが、いまだに懐かしく感じられるのでした。


おまけ:
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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)

    

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