2025年8月18日月曜日

”僕には鳥の言葉がわかる”という鈴木俊貴氏の著作を読めば、学者の重大な”灯台下暗し”だったということ ー 動物言語学(野鳥観察)

          
日本人は、”声”という言葉で表現する時、普通、虫や鳥など動物にも使います。
これを、英語で考えた場合、鳥は鳴き声の意味で、”birdsong”と表現しますね。

他方、虫は"buzz of insects"と"hum of bugs"と表現して、声の把握ではない。
どちらかというと、雑音に近い音を発するような表現に近い感じを受けるんだ。

どうも、日本人は鳥や虫などの動物も発する音が、声とみなす感覚があります。
なぜなのかなあ、と思っていましたが、これは日本人の宗教観によるものだな。

まあ、仏教の「生きとし生けるもの」では、すべての命あるものを意味します。
植物までを含んでいるのですが、音を発する生命体であれば声ということかな。

 花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、
  いきとしいけるもの、いづれか歌をよまざりける

これは、古今和歌集の序で挙げられた和歌ですが、生き物の声に触れています。
その声に共感して、”誰しもが歌を詠まないでいられようか”という表現なのだ。

つまり、日本人は生き物の声に対して、自然体で理解を寄せている気がします。
人のように、そこに複雑なコミュニケーションはなくとも、伝わるものがある。

鳥の声も、言葉ではなくとも、さえずりや地鳴きで呼びかけの声を発するのだ。
それで、最近、創設された分野に、鈴木俊貴氏の始めた動物言語学があります。

まあ、動物は言葉を持つという研究分野ですが、文法も存在するという発見だ。
研究対象となった野鳥の”シジュウカラ”ですが、さえずりにも文法を持つのだ。

異なるさえずりを、決まった語順に組み合わせて表現することで意味が伝わる。
しかも、ルー大柴氏のルー語よろしく、”アゲイン行こう”で意味が通じ合える。

つまり、別種のコガラとシジュウカラのさえずりを組み合わせて表現ができる。
もちろん、小さい鳥たちは敵に襲われないように混群の群れを作る習性がある。

餌場で”みんな集まれ”とさえずる時も、別種は違うさえずりも理解しています。
これって、鳥たちがバイリンガルだったり、トリリンガルだったりするのだな。

いやはや、小鳥たちのちっぽけな脳でも、複数の言語を理解しあえているのだ。
というわけで、言葉を持つのは人間だけという二千年来の定義が覆されました。

これは、動物学の歴史として、古代ギリシャのアリストテレスに遡ることができるのですが、近代動物学に影響を与えた存在としてチャールズ・ダーウィンですら、19世紀以降、この分野に発展的に研究が進んだのにも関わらず、言葉を持つのは人間だけであるという上から目線の見解を変えなかった、頭の固い学者どもが愚かしいと思えてしまうのでした。



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