三年目を迎えたヒオウギだが、昨年以上に、花の数も増えて咲いてくれている。
今年はバルコニー修繕工事で、鉢を日当たりのよい仮設場所へ移動してあった。
日光もより降り注いでくれたのか、大きく伸びた葉も、名の通り檜扇に見える。
この檜扇(ひおうぎ)は、扇子と似ているが、どちらも扇ぐことで風を起こす。
薄い檜の板を重ねて作られた固定式の扇で、儀式や書付に用いられたとあった。
だとすれば、扇いで涼を求めるための風を起こすのが、第一義ではないようだ。
むしろ、平安貴族が、儀式や式典の際の順序を書き記すメモ帳だったともいう。
一方、高貴な十二単をまとった女性が、この扇で顔を隠すのは、知られている。
当時の女性は、夫や親兄弟以外の男性には、顔を見せる習慣がなかったからだ。
このため、他人の視線を避けて咄嗟に顔を隠す上で、重宝して使ったのだろう。
それ以外にも、宮中の行事や日常のやり取りで、物を受け渡す道具だったのだ。
仰々しい作法だと思ってしまうが、これも神秘的な力を持つと信じられたから。
無病息災や豊穣を招くお守りで大切にされたせいか、古い檜扇も残されている。
そして、この植物の命名もこの葉の形状からだろうが、正に自然の檜扇だろう。
ところで、この暑い夏の最中に散策すれば、金柑の小さな白い花が咲いていた。
小粒の白い花ゆえに地味で目立たないのだが、この花から美味な実がなるのだ。
実は、そのままで食べられるとは思っていなかったが、近所の人から教わった。
ただ、農家で栽培される金柑は、庭木の扱いより昔は飢饉の備えだったという。
不作の年になれば、植えた果樹の実を貴重な食糧にして、糊口を凌いだらしい。
それが、今や住宅地に変貌した環境では、金柑は庭木になり鑑賞されているな。
そこかしこに冬になれば実をつけるのだが、取っても怒られることは先ずない。
実をつけた果樹の姿に家主は満足するだけで、昔日の貴重さなど知らぬはずだ。
というわけで、酷暑の続く中、路傍に咲く花々を見て一服の涼に癒される日々。
グリーンカートンとして植えられたゴーヤも実をつけだして、今年はバルコニーの修繕工事で栽培できなかったのだが、それができれば大豊作だったのに悔やんでいる自分がいる。
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